「明日も遊んでね、グッナイ」

嵐と関ジャニ∞。好きなものを好きなだけ。

本当のキミを知りたいの キラキラで目が眩むけど

本当のキミを知りたいの キラキラで目が眩むけど

 

Perfumeの「シークレットシークレット」という歌の一節である。私はこの曲を相葉くんを応援するときの(勝手に)イメージソングにしている。曲全体ではなくこのフレーズだけなのだが、お気に入りの歌詞だ。

 

相葉くんはキラキラしているアイドルである。ジュニア時代、ヒロミさんに「スーパーアイドル相葉ちゃん」とあだ名をつけられた。色で例えるなら、混じりっけのない白。くしゃっとした笑顔、人当たりの良さ、何事にも一生懸命で素直。誰もが愛せずにはいられない魅力的な人である。しかし、メンバーには「根暗」と言われ*1、人見知り*2。テレビでもふとした瞬間にクールな表情が映り、少しミステリアスな一面も見せる。

 

と言っておいてなんだが、私に相葉くんのことはこれっぽっちも分からない。分かるわけがないのだ。多分、相葉くんも分かられてたまるか!って感じだと思う。そりゃそうだ。これは相葉くんに限らない話だが、家族でもない友達でもない私たちに見せている面はあくまで仕事中の顔であり、上記に書き連ねたことは「ファンに見せているアイドル・相葉雅紀」に過ぎない。世間に浸透している相葉くんのキャラクターは明るくて元気で天真爛漫、というだけだ。

 

2015年。

嵐を応援して10年になると同時に、相葉雅紀くんを応援して7年になる。

今まで相葉くんに関する記事を書いたことがなかった。理由はひとつ、難しいから。私のブログには、あれもこれも書こうとして文章がぐちゃぐちゃになった下書きがいくつも眠っている。

うまく纏められる自信はないが、個人的嵐10周年イヤーということで、嵐と相葉くんを応援してきた10年をざっくり書いてみることにする。

 

担当ではない彼に目がいく理由

姉の影響で嵐ファンになったのは2005年。姉に見せてもらった雑誌で嵐を初めて見た。当時、関ジャニ∞の安田くん、WaTの小池徹平くんといった「可愛い男の子」が好きだった私は、まんまと二宮くんを好きになった。

二宮くんに注目して嵐を追っかけ始めた。二宮くんは同じグループの相葉雅紀くんによく絡む。まあ絡む。すごい絡む。まるでお兄ちゃんが大好きな弟のようだった。そこで生まれる好奇心。二宮くんが好きな相葉くんってどんな人なんだろう。

相葉くんはしなやかダンスを踊る人だった。「振りの覚えが悪い」とメンバーによくいじられていたが、長い腕と長い脚を使ったダンスは力強いのに細やか。5人で踊っているとき、目を奪われるのはいつも相葉くんだった。

2006年、日本テレビで「嵐の宿題くん」がスタートした。ゲストを迎えてトークするバラエティー番組である。天然キャラである相葉くんはメンバーによくツッコまれ、独特の笑い声で楽しそうに目を細める。

目で追う人が二宮くんから相葉くんになった明確な時期は分からない。じわりじわりと魅力にはまっていき、気がつけば相葉くんのことが好きになっていた。

 

気胸の再発

2011年6月30日。私は学校へ向かう途中、携帯でそのニュースを見た。

 

嵐・相葉雅紀自然気胸で入院

 

ああ、ついに来たか。そう思った。

2002年、相葉くんは肺気胸で入院している。肺気胸が再発しやすい病気であることは私も理解していた。いつか、この日が来るかもしれない。でも来ないでほしい。ファンはそう願うことしかできなかった。

相葉くんは2004年の24時間テレビでメンバーに宛てて手紙を読んだ。そこで2002年に肺気胸になったときのことも綴っている。仕事に穴を開けてしまったときの想いを話す声は涙まじりだった。

2014年、15周年のハワイ公演でも自身の病気について話している。11月7日、NHKで放送された「嵐  15年目の告白〜LIVE&DOCUMENT〜」でインタビューも放送された。

 

ナレーション:相葉雅紀は、そんな雨の中でも、変わらない笑顔を見せていました。嵐のムードメーカー、相葉。そして、一番の努力家でもあります。相葉は、現場で誰よりも汗を掻き、いつも全力を出し切っています。そんな努力家の彼だからこそ、ある病気にかかってしまったことがありました。

ナレーション:2002年、19歳のとき、サックスに挑戦する企画で練習をしすぎて、肺に穴が開いてしまったのです。仕事をキャンセルし、緊急入院。

相葉:2002年にね、病気になったときね、俺復帰できないと思ったの。もう終わりだと思った。 嵐...としてもそうだし。

櫻井:ん?じゃあ何?もしかしたらもう嵐...やめることに、

相葉:...(嵐)に戻れないかもしれない。癖になるから。

櫻井:うん。

相葉:で、同じ所に破れる可能性がすごい高いんですよ。再発率がすごい高いからって聞いた瞬間にやっぱりこれは歌って踊ったり。

松本:うん。

相葉:っていうことが僕ら基本だったから。

二宮:うん。

櫻井:そんな感じだっていうのは俺ちょっと、初めて聞いたわ。

相葉:あ、本当。

櫻井:いやもちろんその、病気したのは知ってるけど、そこまでの感じだったっていうのは俺はちょっと認識なかったな。

相葉:うんうんうんうん。

松本:俺もそうだな。

相葉:あ、本当。

相葉:だから戻れたことはすごい嬉しかった。

(ハワイでの座談会)

 

ナレーション:相葉が復帰したのはハワイで行われたファンとのイベントのとき。出発当日の朝に退院し、気力で参加した相葉。しかし、この時の出来事がハワイにわだかまりを残すことになりました。

相葉:それこそねあんまり、激しい運動もできないし、まだ穴空いてるわけだから肺に。で、その時に、嵐の4人がステージで歌を披露するわけですよ。ま、一番端の方だよね、端の方からこうやってステージを見てたんだけど、4人が踊ってるのを。なんかもう...なんとも言えない気持ちになっちゃって。申し訳ない気持ちとなんかさぁ...切ない気持ちと、もうどうしたらいいかわかんない...気持ちになっちゃって。なんか、そんなことがハワイであったから。今回ハワイでライブができて。で立てたときは、その5人で、こう、ねぇ、ステージの上から見る景色っていうのはやっぱり...なんとも言えなかったですよ。...うれしかったよね。ようやくなんかこう...取り、返したじゃないけどさぁ。忘れてたものを、1つ、取り戻せたっていうか、決着がついたっていうか。

(ハワイでのインタビュー)

 

ナレーション:念願のハワイのステージに立った相葉。想いが、溢れ出ました。

相葉:こんなチャンスないと思ってたけど、ハワイで、5人で、ステージに立ちたいって...(言葉に詰まり後ろを向く)。ずっと...(涙声)

松本:いやいや、前向きなさいよ。

相葉:おも、思ってたんですよ。

松本:いや、前向きなさいよ。

相葉:で(力強く)、15年たって(前を向く)こういう機会を、もらってね、で、今日立てたんですよ。昨日も立てたし。すごく僕にとってはこの、意味のあるハワイでのライブでした。

(ハワイ公演最終日のエンディング前挨拶)

 

幸い2011年に再発したときは手術の必要はなく1週間程で復帰できた。復帰した収録のVS嵐を目にしたとき、嬉しさで胸がいっぱいになった。ゲストの北大路欣也さんに復帰のお祝いをされた相葉くんの表情を見たとき、涙が出そうになった。戻ってきてくれてありがとう、と感謝せずにはいられなかった。

 

5人で歌う「Hello Goodbye」

2013年9月21日、国立競技場で行われたアラフェスに参加した。

相葉くんはソロ曲で「Hello Goodbye」を歌った。ジュニアもバックダンサーもいない国立競技場のセンターステージには、真っ白な衣装に身を包んだ相葉くんひとり。

間奏でブルースハープを奏でた相葉くんが振り返れば、後ろから出てくるのはメンバー4人。メンバーはサビ前のパートをワンフレーズずつ歌い、国立競技場には5人のユニゾンで大サビが響き渡った。真ん中に相葉くんが加わり嵐が完成する。

そう、これが私の好きな嵐だ。私が好きなアイドルだ。

 

30代になり、"オトナ"の男性へ

2012年12月24日、相葉くんは30歳になった。今年、相葉くんは33歳になる。

10代後半でデビューするアイドルたち。30歳になるとそれなりのキャリアになり、年齢的にも大きな節目を迎える。私が応援しているアラサーの男性アイドルたちは、後輩の前で自分たちを「おじさん」と言い自虐することもある。

私は思う。30代になった相葉くんは色気が増した。美人になった。綺麗になった。ギリギリアウトのセクハラを平気で言う。30歳を経た相葉くんは、今まで見たことない表情をするようになった。垢抜けた、というのだろうか。何を言ってもセクハラっぽいのは見逃してくれ。

20代の相葉くんを例えるならフレッシュなフルーツ、30代の相葉くんを例えるならビタースイートなチョコレート。物憂げな表情と太陽のような笑顔のギャップ。畜生、目が離せないじゃないか。

 

甘くて苦い、くるくると変わる表情を見せてくれる相葉くんをこれからも応援し続けたい。

*1:二宮和也くんの発言

*2:風間俊介くんの発言